「お〜い、大貫!ちょっといいか〜?」
劇団が借りている年季の入ったビルの一室。バイトを終えてここに直行した拓海はガタのきた扉を力任せに押し開けると、待ち構えていた団長に早速呼びつけられた。
先の公演から一週間。何かお叱りでも受けるのかと咄嗟に身構えたが、少々落胆気味の団長の顔を見るなり、その可能性は消えた。
「新入りだ。しばらくの間お前が面倒を見てやってくれ。俺、これからヤボ用で出かけるから」
そそくさと消えていった団長のあとには見ず知らずの男が残されていた。拓海よりいいガタイをしている上に、顔も悪くない。役者志望というだけあってルックスの問題はなさそうだが、問題は演技力である。
(女性団員じゃなかったからあんなに落ち込んでたのか、団長は)
女性ならば熱烈歓迎を受けただろうにと同情しているところで、男が手を差し出した。
「相模京介です。よろしくお願いします」
ハリのある低音。案外悪役なんかに向いているかもしれないなどと思ったのは秘密だ。
「あ、俺は大貫拓海。こちらこそよろしく」
その手を軽く握り返すと、相模が一瞬強張ったのがわかった。不思議に思って顔を上げると信じられないものを見る目で、拓海の貌をまじまじと見つめてくる。
「あの、何か?」
さすがにちょっと気持ち悪い。死んだ人間にでも会ったようなリアクションだ。
「……もしかして、お松役の大貫さん?“浮世の懸け橋”の」
「そ、そうだけど……?」
「うわぁ、こんなに早くお会いできるとは思わなかった!てっきり……」
興奮に任せて拓海の手をぶんぶんと振り回していた京介が、そこでふと言葉を切った。
京介が言わんとしていたことが何となくわかった拓海は、苦笑いを浮かべながら言葉を継いだ。
「俺が雑用なんかしない看板役者に次ぐ存在だとか思ってたんでしょ。あ、それともあのお松をこんな野郎が演じてたことに落胆したか?すまんな、想像をぶっ壊すような現実で」
「そんなこと……大貫さんのお松は素人目にも十分な迫力でした」
「サンキュ。お世辞でも嬉しいよ」
からからと豪快に笑う拓海につられて、京介も自然と笑顔になる。
「あ、そうだ。言っとくけど藤村さんだって雑用くらいはするからな。ウチは看板役者とか裏方とかに関係なく、マルチに仕事しなきゃなんねぇの。なんせ弱小劇団だから。あんたも覚悟してくれよ」
「俺のことなら京介でいいですよ」
人好きのする笑顔で京介が言う。さっきは声質だけで悪役が似合うと思ったが、もしかしたら一番悪役には向かない性質なのかもしれないと拓海は思った。京介の笑顔に幼さが残っているのを見たからだ。
「そっか?じゃ、俺のことも拓海でいいぞ」
「はい、拓海さん」
別に呼び捨てでも構わないと言ったが、上下関係はしっかりしておきたいという京介の希望でそう決まった。無意識かもしれないが京介は意外にも芝居の世界を知っているのかもしれない。
「芝居の経験は?」
「この前まで別の劇団にいました。基礎的なことは一通りそこで習いました」
「へぇ、経験者なら助かるよ。で、何処の劇団?」
他の劇団のことはあまり知らない拓海だったが、その劇団を辞めてウチに来てくれたなら、ウチにどんな期待を持って来てくれたのかが知りたかった。
(まぁ、どうせウチと同じような弱小劇団なんだろうけど)
名前を聞いてもわからないかもしれない。それでも、と期待に満ちた瞳で京介を見上げると、困ったような表情で返された。
「んー、……ヒミツです。すみません」
かくして、劇団『success』に新たなメンバーが加入した。
実力は全くわからないものの、弱小劇団の貴重な戦力になるのは間違いない。
とはいえ、雑用係としての仕事の方が多いこの劇団に、果たして彼が居ついてくれるのかが一番の悩みの種だ。京介とてこの劇団で大きな活動ができないことくらいは承知の上だろうが、飽きが来るのが先か、はたまた居ついてしまうのが先か。今の時点でそれを知る人間は誰もいないのだろう。